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    新潮社

    辛辣な野次を飛ばす困ったファン

     12月4日、日本大学本部で林真理子理事長の記者会見が行われた。大学からは3名。林理事長のほか、「今後の対応方針を検討する会議」で議長を務めた久保利英明弁護士と、事前の案内では予定になかった益子俊志競技スポーツ運営委員長(スポーツ科学部長)。冒頭、アメリカンフットボール部の薬物事件の対応をめぐって、林理事長が謝罪した。続いて、久保利弁護士が文科省に提出した回答書についての概要を説明した後、質疑応答に入った。

    4日に開かれた記者会見の様子

     集まった記者たちの関心は、「林理事長の責任問題」と「アメフト部が廃部するのか」に集約されていた。検討会議で「学長、副学長には辞任勧告」「林理事長は半年間の減俸50パーセント」が妥当とされた。この裁定に反感を抱く複数の記者たちが冒頭から執拗に林理事長に辞任を強要する質問(?)を浴びせ、不穏な空気が渦巻いた。

     私は、議決権も持たない記者たちが大学経営の根幹に関わる人事に批判を繰り返す光景に戸惑った。野球で言えば、スタンドから辛辣な野次を飛ばす困ったファンのようだと思った。最近はそうした野次さえ厳しく戒められる傾向がある。その消え行く野次将軍が記者会見場の中にいる。心無いファンがグラウンドの中にいて、叫び続けているような感じ。ルールやマナーを度外視する態度に閉口した。それがジャーナリズムの正義だというなら、そうなのかとも思うが、このような空気が充満したこともあって、記者会見で語られた重要な事柄が伝わらず、「中身のない会見だった」といった報道が大勢を占めたのは、危険タックル問題以来、ずっと日大改革を取材してきた者として残念に思う。

    重大な転換

     同席した益子俊志学委員長は、大学スポーツのあり方に関してかなり大胆な改革案を提示した。アメフト部の廃部については継続審議とされたが、いずれにせよ「学業優先の部活動への転換」を謳い、アメフト部だけでなく、「スポーツ推薦入試制度の見直し」「部員の学業成績の基準を設ける」など、従来は「競技成績が良ければ許される」傾向のあった部活体質の見直しに方向性を示した。

     林理事長はこれに関連して、「競技スポーツセンター」を新設し、大学の直轄下に置くと明言した。

     この改革案を、単なる看板の付け替えだと批判する識者もいるが、部活運営の当事者たちにすれば、これは重大な転換になる。危険タックル問題の後 、「保健体育審議会」が「競技スポーツ部」に改変されたが、これは看板の付け替えに過ぎなかった。各部の運営は従来通り熱心なOBと監督に任され、大学側の管理指導が及ぶ範囲は限られていた。田中英寿元理事長の出身である相撲部の監督も変わっていない。スポーツ推薦でどの志願者を受け入れるかの決定権も事実上、各部に主体性がある。しかし今後はこれらの力関係が逆転するという意味だ。

    しっかりと顔を上げ

     前回の記者会見の時、林理事長は「スポーツに遠慮があった」と言って失笑を買った。危険タックル問題に端を発し、現職理事長の逮捕にまで発展した一連の騒動も、まさにスポーツの現場から火の手が上がった。しかも、スポーツ組織の裏側で悪しき利権構造が構築され、スポーツ部が日大の大学経営の根幹を腐らせる温床となっていた。にもかかわらず、そこに手をつけず、理事会や評議員会など、上層部の改革から始めた結果、今回もまたアメフト部から火が上がる結果となったのは迂闊と指摘されてもやむを得ないだろう。ここに至って、ようやくだが、競技スポーツ部の権力構造を解体し、OBたちから大学にその主権を移すという決断をした。

    「いよいよスポーツの改革に切り込むのか? その覚悟ができたのか?」と、私は林理事長に質問した。すると、ずっと目を伏せることの多かった林理事長がこの時はしっかりと顔を上げ、力強い意志を表明した。この時、林理事長の強い覚悟を感じた。

     大麻問題が起きて以降、私立大学の経営に携わる当事者たちにも取材を重ねた。彼らは一様に、「素人には無理」「作家に経営できるわけがない」と一刀両断した。まして予算総額が2700億円を超える巨大大学法人の経営を、未経験者にできるわけがないと。なるほどと納得したが、記者会見の場にいて、果たしてそれがすべてだろうか? と思い直した。私は危険タックル問題以降に取材を始めた者だが、それでも驚くほどの利権構造、魑魅魍魎の人間関係や支配構造を見せつけられた。林理事長は、そうした闇の深さ、自分を陥れんとする勢力と彼らの執念深さを理屈抜きに、ようやく打ち震えたのではないか。

    画期的な出来事

     林理事長と個人的な交流はないし、擁護する立場にないが、仮にも長い間、人気作家の地位で活躍し、数々の話題作を送り出してきた方が、こうした現実への嗅覚を持たないわけがない。私を見上げた林理事長の眼差しには、自分を奈落の底に突き落とした競技スポーツ部人脈への怒りと逆襲への覚悟が満ちてているように感じた。

     昨年夏、請われて理事長に就任した当時は、おっとり刀で、彼女自身は被害者でも当事者でもなかった。火中の栗を拾う役だったが、その認識も甘かったのではないだろうか。しかし、今回は自分が当事者になり、これまで作家として積み上げて来た名声や信用のすべてを崩落させるほどの事態に直面した。このままで終われるはずがない。

     日大が文科省に提出した報告書にも明記され、会見で益子委員長が示した競技スポーツ部の新たな方向性は前述のとおり、アメフト部を廃部するにせよ再生するにせよ、今後の日大スポーツ競技部の根本姿勢を問い直すものだ。これが実現できたら日本のスポーツ界に革命が起きるくらい「画期的な出来事」になるとスポーツライターは興奮を抑えきれない。大学は日本一、世界一のスポーツ選手を輩出する強化機関でなく、学業を通して人材を育成する、そのための効果的活動の一つとしてスポーツを奨励する。益子委員長が示唆した次の理想もとても興味深い発想だ。

    そこまではまだです

    「日大には16学部ありますが、これが別々になりがちで、ひとつになる方法が今まではあまりなかった」

     具体的なイメージは私の補足もあるが、例えば従来のアメフト部は、文理学部やスポーツ学部に所属する学生を中心に構成され、全学部の代表とは言い難い存在だった。むしろ、各学部にある同好会で学内大会を行い、学内ナンバーワンを競うスポーツ大会を活発化することで学生間の交流を促し、大学の活性化を図れるのではないか。

     私はある大企業の社内スポーツ大会の取材を継続して担当した経験がある。支店対抗のスポーツ大会は、支店間の交流が希薄になりがちな中で、社員間のコミュニケーションを熱くする素晴らしい成果をもたらしていた。だが、こうした理想は、既存の競技スポーツ部にとっては厄介かつ迷惑でしかないだろう。相当な抵抗が予想される。私は「相撲部や野球部、ラグビー部などとはもう事前の協議をされたのですか?」と益子委員長に質問した。すると、「そこまではまだです」との回答だった。

    全面戦争

     アメフトの廃部で終われば他の部は無傷、とばっちりを受けずに済んだが、競技スポーツ部全体の改革に踏み込まれたら、騒動は全ての部活動に飛び火する。

     会見直後に、他の運動部の指導者のひとりに感想を尋ねると、案の定、「むしろあの人(益子委員長)がグチャグチャにしている」と、かなり怒気の強い答えが返ってきた。「廃部ありきで進めたのもあの人です。今後は大学の支援に頼れないので、自分たちでどう自立するか、対応策を練り始めています」

     緊張感あふれる声を聞いて、部は部で深刻な状況に直面した現実を知らされた。私は思わず、「まるで全面戦争のようですね」と訊ねると、その指導者ははっきりと言った。「私の中ではもう全面戦争です」

     大学側の宣戦布告で、大学と競技スポーツ部の全面対決の様相も案じられる展開になってきた。この日の記者会見は決して、「林理事長のリーダーシップが見えない」「中身がない」と非難されるものではなかった。

    「大学とスポーツの関係をどうすべきか」、競技スポーツのあり方を見直すことは、日大改革の中枢にもつながっている。

    スポーツライター 小林信也

    デイリー新潮編集部

    グーネットマガジン編集部

     日本自動車工業会は10月31日、東京ビッグサイト(江東区・有明)を中心に開催中の「ジャパンモビリティショー2023」の最終日となる11月5日15:00より、「緊急企画!ジャパンモビリティショー大反省会 マツコデラックス×自工会会長 豊田章男」と題したトークセッションを開催すると発表した。

    ジャパンモビリティショー2023 チケット販売開始 過去最多400社以上出展【動画あり】

     この”公開大反省会”は、西展示棟(西2ホール)にある主催者展示エリア「JAPAN FUTURE SESSION」のトークショー会場で行われ、当日はライブ配信も実施する予定となっている。

     日本自動車工業会・会長の豊田章男氏は、今回のトークセッションを開催するに至った経緯について以下のように述べている。

    豊田章男会長コメント

     東京をジャパンに変え、モーターをモビリティに変えた“新しいショー”が、今週末11月5日(日)に最終日を迎えます。

     名前を変えて目指したものは「未来に向けたプラットフォームづくり」。クルマやバイクをつくっている大企業だけでなく「一緒に未来を探しにいこう」と共感してくださった多くの仲間が集まってくださいました。

     まだ会期中盤ですが、今までにない企業同士の出会いがあったり、まだ見たことのない技術が新しい刺激を生み出したり、“未来に向けたプラットフォーム”になりうる可能性を強く感じられる日が続いています。

     “未来に向けたプラットフォーム”として、この先も根付かせていくためには、一度立ち止まって振り返ることも必要です。そのためにマツコデラックスさんのお力をお借りし、大反省会と称したトークセッションを行うことといたしました。皆さま、ぜひ最終日もご来場いただければと思います。

    トークセッション ライブ配信URL

    https://youtube.com/live/FacdIfVJpRg
    配信日時:11月5日(日)15:00~

    ジャパンモビリティショー2023 公式HP:
    https://www.japan-mobility-show.com/

    新潮社

     近代的なオフィスビル街の中を、貴族でも乗せていそうな海老茶色の儀装馬車が騎馬隊とともに走り抜けてゆく。東京・丸の内を歩いていると、そんな場面に出くわすことがある。新任の外国大使を乗せた馬車列だ。

    ケネディ元大使も 

     2月3日、宮内庁などは東京駅と皇居の間を往復するコースで、儀装馬車を走らせる予行演習を行った。コロナ禍で中止になっていた馬車列を復活させるためだ。

     この馬車列、見物するのはそれほど難しくなかった。新任大使があいさつのために天皇陛下に面会する「信任状捧呈式」は年間数十回あり、宮内庁もホームページで告知していたからだ。往路は東京駅の丸の内側を出発し、和田倉門交差点を通って皇居正門をくぐり、宮殿南車寄まで。帰りは逆のルートだ。タクシーだとほぼワンメーターの距離だが、もちろん無料送迎である。

     皇室ジャーナリストの久能靖氏が言う。

    「新任大使は捧呈式に向かう際、自動車か馬車のどちらかを選ぶことができますが、外国で馬車に乗せてくれる例はあまりない。2013年にはキャロライン・ケネディ米国大使が馬車を使ったことで話題になりましたが、実際には他の国の大使も馬車が珍しいので皆さん乗っています」

    大使経験者は“サイコーだった!”

     宮内庁によると馬車は大正2年に造られたもので、4人乗り。2頭の馬が引くことになっている。正式には「儀装馬車4号」と呼ばれ、このほかに上皇ご夫妻が御成婚の際にお乗りになった2号など、3台の儀装馬車が皇居にある。馬は宮内庁の車馬課主馬班が管理しており、普段は皇居の東御苑につながれている。馬車を引くための馬は14頭いるという。

    「輓馬は栃木県の御料牧場で育てられますが、静かで広々とした環境のため都会の喧騒(けんそう)を知りません。そこで、皇居に連れてきてからは自動車の往来や群衆に慣らし、少々のことでは驚かない、落ち着いた馬に仕上げるのです」(同)

     実際、宮内庁の記録でも信任状捧呈式の送迎に使われた馬車が事故を起こしたことはない。だが、馬も動物である。走っている途中で粗相をすることはあるだろう。その場合は、

    「適切に処理しております」(宮内庁総務課報道室)

     とのこと。そして、やっぱり気になるのは乗り心地である。

    「外国の大使経験者に尋ねると誰もが“サイコーだった!”と言うようです」

     と久能氏。外交でも“馬力”を発揮しているのだ。

    「週刊新潮」2023年2月23日号 掲載

     誰もが存在を知っているけれど、なかなか見られない列車。それが「黄色い新幹線」だ。

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     愛称はドクターイエロー。なぜドクターかというと、レール周辺の軌道計測、架線、信号、通信設備を“健康診断”する列車だから。正式名称は新幹線電気軌道総合試験車923形という。

     顔つきは700系電車に似た「カモノハシ」だけど、700系ではなく、900番台の形式。900番台は事業用車の番号で、保線や資材輸送列車に与えられる。

    「ドクターイエロー」の愛称で知られる新幹線電気軌道総合試験車923形 提供:JR東海

    ドクターイエローはいつ見られるのか

     923形はJR東海が1編成、JR西日本が1編成を保有している。つまり現在は2編成しかない。どちらも7両編成。

     見分け方は先頭車の車体側面にあるJRマークで、オレンジならJR東海保有車、青ならJR西日本保有車。そして製造番号だ。JR西日本の923形は3000番台の製造番号が与えられている。プラットホームなどで見かけたら、「黄色だ!」だけではなく、「JR東海のドクターイエロー!」「JR西日本のドクターイエロー!」まで言うと通である。

     見かけたらって言うけれど、いつ見かけられるのか。こればかりは「わからない」。市販の時刻表には掲載されていないし、乗り換え検索アプリでも表示されない。乗れないから時刻表に掲載する意味はないし、乗り換えの対象にならないからアプリの検索に引っかからない。鉄道ファン向け専門誌にも掲載されない。

     JR東海の広報に聞いても教えてくれない。それはきっと「教える必要がないから」だ。業務用車両だからお客さんは乗れない。見たいという要望に応えたとして、業務の都合で運休になれば、かえってガッカリさせてしまう。そうなると「なんで走らないんだ」とクレームが起きて仕事が増える。意地悪く秘密にしているわけではないのだろう。

     もしかしたら、広報担当に情報が伝えられていないかも。確認してみると、「理由も含めて回答いたしかねます」(JR東海広報)とのこと。

    ネット上に「ドクターイエローの時刻表」があった

     ところが、「ドクターイエローの時刻表」が存在して、インターネットで公開されている。それはJR東海公式ではなく、ドクターイエローが大好きなファンのサイトだ。私が参考にしているサイトは以下の2つ。

    あのドクターイエローに必ず会える時刻表!!
    https://dr-yellow-eline.com/

    ドクターイエロー記念館
    https://1001-kinenkan.jp/dryellow2210/

     運転日も、運転時刻も詳しく紹介されていた。各駅の発着時刻、通過予想時刻まで。運行パターンとして、のぞみタイプとこだまタイプがあることも。これは通過する線路と停車する線路の両方を検測するためだろう。

     運転日や時刻について、どこから情報を入手したか。

     まずは、「あのドクターイエローに必ず会える時刻表!!」のElineさんに聞いてみた。

    「何度もドクターイエローを目撃する機会があり、だいたい同じ時間帯に走行していることに気づきました。他の駅でも見てみたいと思い、自分が目撃した時間をもとに他の駅の通過時刻を計算しました。大体ダイヤがわかってきたので、それをもとに線を引き、独自のダイヤグラムを作成しました。

     通過駅の時刻や、他の営業運転の新幹線の待避状況を割り出していきました。実際に見に行ったり、(ネットなどの)目撃情報を得たりして微調整しました。のぞみタイプの場合、ひかりやこだまが待避する場合は、その列車にかぶって見えないので、待避状況も書いています。

     はじめは記録のためにWebサイトを作りました。その後、ドクターイエローに会ってみたい方がいらっしゃることを知り、少しでも喜んでいただければ、という気持ちでサイトを作り直していきました」

    「JR東海さんにバレて規則性を変更されてしまうかも(笑)」

     次に「ドクターイエロー記念館」のセンさんにもお話をうかがった。

    「過去の運行日の規則性に基づいて計算しています。Twitterなども貴重な情報源です。こだま検測は『偶数月と3の倍数月』に運行する規則性が判明しました。これを記事にされちゃうと、JR東海さんにバレて規則性を変更されてしまうかも(笑)」

     どちらもかなり正確だと評判だ。しかし、あくまでも予想だ。サイトの読者からの目撃情報などで随時修正が加えられる。最新の情報を参考にしよう。出掛ける前にTwitterで「ドクターイエロー」を検索して、当日の目撃情報を得れば確実だ。

     確実にドクターイエローを見られるお二人、しあわせなことはあったかと聞くと、「ドクターイエローを見られたこと、そのものがしあわせな気分になる」という。とくにセンさんは「初めてドクターイエローを見た翌月に、趣味の株投資で300万円を稼ぎました。その後もサイトを維持して利益を出し続けている」という。うーん、それはセンさんの実力で、ゲン担ぎのような気もする……。

    なぜ黄色は「しあわせ」なの?

    「この時刻表、合ってますか?」と、改めてJR東海の広報に問い合わせた。

    「すごいですね。でも、ドクターイエローに関しては、お応えいたしかねます」

     とのことだった。そして逆に質問されてしまった。

    「どうしてドクターイエローが『しあわせの』なのでしょうか」と。

     JR東海によると、ドクターイエローが黄色い理由は、ほかの保線工事用車両と同じく「薄暗い時間帯や深夜に目立つ色にしているから」。安全上の色選択だ。見た人がしあわせな気持ちになってくれるのは喜ばしいけれど、そのために黄色にしたわけではない。

     しあわせと黄色。この2つはなぜ紐付いているか。

     色と運勢と言えば「風水」を思い浮かべる。「黄色は金運や恋愛運を上げる」というような話は、1990年代の風水ブームで定着した感がある。きっかけは1994年に荒俣宏氏が書いた『風水先生 地相占術の驚異』だった。翌年に建築士のDr.コパこと小林祥晃氏が家相や運勢の本を出版し、後にタレントとして活躍している。以降、風水はカジュアル化し、占いのひとつになっているけれども、本来は陰陽五行説に基づく思想で、建物や都市などの立地学らしい。

     昭和世代がすぐに連想する言葉といえば、映画のタイトル『幸せの黄色いハンカチ』だ。山田洋次監督。刑務所を出所した男(高倉健)が愛する妻(倍賞千恵子)に会いに行く。男は妻に「まだ待っていてくれるなら、棹に黄色いハンカチを下げてくれ」と伝えていた。果たして黄色いハンカチはあるだろうか、という話。公開は1977年。

    列車の中でリンゴの木を見て、リボンがあれば…

     この話がルーツかと思いきや、実は『幸せの黄色いハンカチ』には原作がある。DVDのパッケージには小さく「原作:ピート・ハミル」の文字がある。

     Webサイト『世界の民謡・童謡』によると、この原作はピート・ハミルが1971年に書いたコラム『ゴーイング・ホーム』だ。ところが、1973年にアメリカのポップスグループ、トニー・オーランド&ドーンが『幸せの黄色いリボン』をヒットさせると、ピート・ハミルは自分のコラムを盗用されたと裁判を起こす。どちらも前科者が愛する者の家に向かう話で、黄色い布を目印にしている。しかし、ピート・ハミルは敗訴する。似たような話はさらに以前に存在したからだ。

     アメリカにとって、黄色いリボンの歴史は古く、1949年のジョン・ウェイン主演の映画『黄色いリボン(She Wore a Yellow Ribbon)』の主題歌で、19世紀からアメリカ民謡として歌われていた。遠くへ行ってしまった恋人の無事を願って黄色いリボンを身につけるという歌詞がある。19世紀のイギリス民謡『All Around My Hat』にも似ているという。「恋人の無事を祈って黄色いリボンを付ける」は南北戦争までさかのぼる習慣だった。

     黄色いリボンの話は再会の話ではないけれど、実はアメリカには「白いリボン」という話がある。刑務所帰りの男が友人たちに「私の帰りを望むなら線路沿いの庭のリンゴの木に白いリボンを結んでくれ」と書いた。列車の中でリンゴの木を見て、リボンがあれば最寄り駅で下車する。なければ下車せず、ほかの町へ行く。そして列車が故郷に近づいて……という話。これは1959年に書かれた『Star Wormwood』という本に登場するエピソード。ジョン・ウェインの映画のあとだけれど、この話は伝承として古くから刑務所に伝わっていたという。

    ドクターイエローが停まっている車両基地は?

     こちらを原典とすれば、『幸福の黄色いハンカチ』は『幸福の白いハンカチ』になっていたかもしれず、「しあわせの黄色い新幹線」は「しあわせの白い新幹線」になっていたかもしれない。しかし、ほとんどの新幹線車両は白いから、どの新幹線を見てもしあわせになれる。ありがたいような、ありがたみが薄まってしまうような……。

     JR東日本が運行する新幹線電気軌道総合検測車、E926形電車も白い。愛称は「ドクターホワイト」ではなく「East i(イーストアイ)」という。この車両もなかなか目撃できない。前出のサイト「ドクターイエロー記念館」には「イーストアイ時刻表」も掲載されている。運転時刻は詳しいけれど、運転日の法則性は不明とのこと。3日かけて東北新幹線・上越新幹線・北陸新幹線を巡っている。つまり、ネットで1日目の目撃情報を見つけたら、2日目、3日目を狙えば必ず目撃できそうだ。

     ちなみに、ドクターイエローが検査走行しない日は、東京都品川区の大井車両基地に停まっている。ここは基地をまたぐ位置に陸橋があり、歩道からフェンス越しに目撃できる。運が良ければ、JR東海とJR西日本のドクターイエローが両方とも停車しているときがあるそうで、これがもっとも幸運かも知れない。

     この記事を読んだあなたがしあわせになりますように。

    (文春オンライン 杉山 淳一)

    英国のエリザベス女王=英国で2022年2月5日、ロイター

     英王室は8日、女王エリザベス2世が死去したと発表した。96歳だった。女王死去を受け、長男チャールズ皇太子(73)が新国王として即位する。

    【写真】ダイアナ妃とエリザベス女王 今は亡き二人

     1952年から70年間に及んだ在任期間は、君主としてはフランスのルイ14世(在位1643~1715年)の72年と110日に次ぎ、史上2番目の長さだった。今年6月には在位70年を祝う式典が開かれたが、最近は健康不安も伝えられていた。

     1926年4月21日、ヨーク公(後の国王ジョージ6世)の長女としてロンドンに生まれた。本名エリザベス・アレクサンドラ・メアリー・ウィンザー。妹はマーガレット王女。47年にギリシャ王室の血を引くフィリップ・マウントバッテン大尉(エディンバラ公)と結婚。父の病死に伴い、52年2月6日に25歳で即位した。53年6月2日にウェストミンスター寺院で戴冠式を行った。長男チャールズ皇太子、長女アン王女、次男アンドルー王子、三男エドワード王子の3男1女をもうけた。

     「英国の顔」としての外遊は約100カ国、260回超。71年の昭和天皇訪英の返礼として75年に訪日した。旧植民地諸国を中心とした緩やかな連合体・英連邦(コモンウェルス)の元首も務めた。

     国民から敬愛され、居城バッキンガム宮殿やウィンザー城は観光名所として人気を集めた。一方、チャールズ皇太子と離婚したダイアナ元妃が97年に交通事故死した際、数日間弔意を示さなかったことで一時は批判も浴びたが、以後はパブを訪れる姿を見せるなど「国民に近い王室」の発信に努めた。

     新型コロナウイルス感染拡大直後の2020年4月には、「私たちが団結し、強い意志を持ち続ければ、病を必ず克服できる」と国民を励ますテレビ演説を行い、英国内で約2400万人が視聴。危機の際に国民をまとめる存在感を世界に示した。

     21年4月には夫フィリップ殿下(当時99歳)と死別。今年2月にはコロナに感染した。

     女王に仕えた英首相は第二次大戦を勝利に導いたチャーチルから現在のトラス首相まで15人に上る。(毎日新聞)

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