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    カテゴリ:芸能 > タレント

     「アホの坂田」の愛称で親しまれたお笑い芸人の坂田利夫(さかた・としお、本名・地神利夫=じがみ・としお)さんが29日、老衰のため大阪市内で死去した。82歳。大阪市出身。21年10月に亡くなった前田五郎さん(享年79)との漫才コンビ「コメディNo・1」で全国区の人気を誇り、「あ~りが~とさ~ん」「あ、よいとせのこらせのよいとせのこらせ」など数多くのギャグでも知られた。

     坂田さんの死に芸人仲間にも悲しみが広がっている。最後まで寄り添ったのは、後輩で吉本新喜劇ゼネラルマネジャーの間寛平(74)。30日に予定されていた仕事は全てキャンセルし、憔悴(しょうすい)しきっている様子だ。

     吉本の発表文書の中には「坂田は1964年にデビュー、1967年に前田五郎さん(故人)と漫才コンビ『コメディNo.1』を結成し、数々の賞を受賞。若手のころから、西川きよし・ヘレン夫妻と仲が良く、西川家に居候して3人で若い時代を切磋琢磨しました。『あっちこっち丁稚』(朝日放送)で共演した後輩の間寛平とは54年間の親交があり、先日は82歳の誕生日を間寛平夫妻にお祝いしてもらい、大変喜んでいました。最期も親族と間寛平夫妻に見守られながら息を引き取りました」と寛平が看取ったと明かされた。

     寛平は坂田さんが入居する施設を10日に1回ほどのペースで訪問。誕生日を祝う様子などを自身のSNSにアップし、坂田さんの近況をファンに報告していた。最後に坂田さんの姿が見られたのは11月27日の投稿。坂田さんの頭をなでる写真とともに「大先生ちょっと毛が生えてきてます」とうれしそうに報告していた。

     寛平は10月末に本紙の取材に「プリンなどを差し入れると“うまい、うまい”とおいしそうに食べてます」と明かし「胸の辺りをグリグリッとくすぐると“何するんや”って笑ってる。82歳やからなあ、早く良くなってほしい」と願っていた。

     昨年4月、なんばグランド花月で開かれた吉本興業創業110周年記念公演の新喜劇でも共演。坂田さんに「アホ!」と言われた寛平が「アホにアホ言われたら…もう帰れ!」と返すなど、レジェンド同士の掛け合いで観客を沸かせていた。

     長年にわたって吉本新喜劇で活躍した坂田さん。共演した多くの後輩も悲しみに暮れている。

    (スポニチアネックス)

    第19代王者に輝いた「令和ロマン」の高比良くるま(左)と松井ケムリ 

     漫才師日本一を決める「M―1グランプリ2023」の決勝が24日、都内で行われた。2001年の大会開始以降、史上最多8540組のエントリーから「令和ロマン」が優勝した。

     決定の瞬間、高比良くるま(29)は脱力したかのように安堵(あんど)の表情。松井ケムリ(30)は両拳を握りしめた。ファーストラウンドで審査員の松本人志(60)に「家に呼んだら足が臭かった」と暴露された松井は「汗臭くても優勝できるんだと、“汗臭漫才師”に希望をもたらすことができました」と笑わせた。

     ファーストラウンドは高得点が出にくいとされるトップバッター。それでも3位に滑り込んだ。最終決戦も3組の最初に登場し、ドラマにかこつけ、吉本興業社員の物まねなどを盛り込んだネタを披露。司会の今田耕司(57)は“笑い泣き”し、松本も「2本目(最終決戦)の方がパワーがあった。強いネタを残した、根性勝ちです」と絶賛した。トップバッターでの優勝は、01年の中川家以来の偉業。高比良も「うれしいです」と強調した。

     賞金の使い道について松井は「ラジオ番組で『全額、高比良にあげる』と言っちゃった。でもネタも書いてもらって感謝している。大事なのはお金より肩書」と太っ腹発言。その言葉に高比良は「やった! 今日、競馬で100万負けたばかり」とおどけた。

     来年のM―1も「出たい。怒られるんだろうけど…。だって(ファーストラウンド)3位だったんだから」と高比良は優勝会見では珍しく唇をかむ。この向上心が快挙を生んだ。(浦本 将樹)

     ◆令和ロマン

     ▼高比良(たかひら)くるま 1994年9月3日、東京都練馬区出身。29歳。趣味はビールを飲むこと。ボケ担当。

     ▼松井(まつい)ケムリ 1993年5月29日、横浜市生まれ。30歳。趣味はカブトムシ・クワガタの養殖。ツッコミ担当。

     慶大のお笑いサークルの先輩後輩で、共にNSC23期生。2018年4月に結成。M―1は7回目の出場。20年、第7回NHK新人お笑い大賞優勝。

     〇…ステージに立つ順番を決める笑神籤(えみくじ)を引くプレゼンターを、侍ジャパン前監督の栗山英樹氏(62)と巨人の岡本和真内野手(27)が務めた。出演の感想を聞かれた岡本は「クリスマスイブといえばM―1だと思って、いつも見ていたのでうれしいです」と答えたが、司会の今田から「毎年イブではないんです」と突っ込まれ、苦笑い。さらに、ダンビラムーチョの大原優一(34)からはサインをねだられ、快く応じていた。(スポーツ報知)

    グーネットマガジン編集部

     日本自動車工業会は10月31日、東京ビッグサイト(江東区・有明)を中心に開催中の「ジャパンモビリティショー2023」の最終日となる11月5日15:00より、「緊急企画!ジャパンモビリティショー大反省会 マツコデラックス×自工会会長 豊田章男」と題したトークセッションを開催すると発表した。

    ジャパンモビリティショー2023 チケット販売開始 過去最多400社以上出展【動画あり】

     この”公開大反省会”は、西展示棟(西2ホール)にある主催者展示エリア「JAPAN FUTURE SESSION」のトークショー会場で行われ、当日はライブ配信も実施する予定となっている。

     日本自動車工業会・会長の豊田章男氏は、今回のトークセッションを開催するに至った経緯について以下のように述べている。

    豊田章男会長コメント

     東京をジャパンに変え、モーターをモビリティに変えた“新しいショー”が、今週末11月5日(日)に最終日を迎えます。

     名前を変えて目指したものは「未来に向けたプラットフォームづくり」。クルマやバイクをつくっている大企業だけでなく「一緒に未来を探しにいこう」と共感してくださった多くの仲間が集まってくださいました。

     まだ会期中盤ですが、今までにない企業同士の出会いがあったり、まだ見たことのない技術が新しい刺激を生み出したり、“未来に向けたプラットフォーム”になりうる可能性を強く感じられる日が続いています。

     “未来に向けたプラットフォーム”として、この先も根付かせていくためには、一度立ち止まって振り返ることも必要です。そのためにマツコデラックスさんのお力をお借りし、大反省会と称したトークセッションを行うことといたしました。皆さま、ぜひ最終日もご来場いただければと思います。

    トークセッション ライブ配信URL

    https://youtube.com/live/FacdIfVJpRg
    配信日時:11月5日(日)15:00~

    ジャパンモビリティショー2023 公式HP:
    https://www.japan-mobility-show.com/

    主演映画「レジェンド&バタフライ」で織田信長を演じる木村 

     俳優の木村拓哉(50)が、このほどスポーツ報知の新春インタビューに応じた。昨年11月に50歳を迎えた希代のスターが、無気力だったジャニーズ事務所入所当時や、「キムタクブーム」の葛藤と喜びなど半世紀の歩みを振り返るとともに、27日公開の「レジェンド&バタフライ」(大友啓史監督)から描く新たな「伝説」について語った。(取材・構成=田中 雄己)

     一瞬にして、空気が張り詰めた。ブラックスーツをまとった木村は「よろしくお願いします」と頭を下げたが、表情は崩さず。笑みもない。シャッター音に合わせ、瞳には力が宿った。この紛れもない「オーラ」は、戦国武将・織田信長にも通ずるものだろう。最新作「レジェンド&バタフライ」では、時代劇に初出演したTBS系ドラマ「織田信長 天下を取ったバカ」(1998年)以来、25年ぶりに信長を演じた。

     「あの頃の自分には彼の才気は、整っていなかった。今の自分でようやく彼の一部分ではなく、人生の全貌(ぜんぼう)を表現できるようになった」

     運命か、偶然か。信長が生涯を閉じたとされる年齢と同じ49歳で「本能寺の変」のシーンを撮影した。

     「ま、それは偶然だと思うんですけど」。撮影の日々を思い返すように右斜めを見上げ、わずかに目尻を下げ、頬を緩めた。

     「(戦国時代以来442年ぶりに惑星食と同時に)皆既月食が起きたり、自分の家の家紋が(織田家と)一緒だったり『なんじゃこれ』と思うことが重なって。だからね、(昨年11月の)『ぎふ信長まつり』に参加させていただいた時、半分以上腹くくっていたんですよ」

     思いもよらない言葉に、その意味を聞き返した。

     「何があってもいいように。あれだけ多くの人が一堂に会したら、何が起こるか分からない」

     イベント1週間前には、韓国・梨泰院(イテウォン)の雑踏事故が起きたばかりだった。

     「撮影中もずっとそうだったんですけど、さらしを巻いてもらっていて。画角には一切入らないですけど、儀式の一つとして。『信長まつり』の支度をしている時に思いましたよね。『ああ、このさらしを巻いておけば、致命傷を免れるかもしれない』。いろいろなことが重なっているだけに、もしかしたらこの地で、この格好をしたまま…ということは考えましたね」

     「死」すらも脳裏によぎった「信長まつり」は2日間で62万人が集まり、無事に終わったが、その覚悟は本作にも共通する。「魔王」と呼ばれた晩年の信長の姿を演じた木村は、狂気に満ちていた。

     「(綾瀬はるか演じる)濃姫に出会い、彼は天下を意識するようになって。ただ扉を開けてみたら、素晴らしい景色かもしれないですけど、それを望むにはいろいろな弊害や障害があって、殺(あや)めなければいけない命もあって」

     「アイドル」「俳優」で頂に上り詰めた木村本人にも当てはまる気がした。信長と同様、若かりし頃は“うつけ”だった。

     87年11月。親戚が履歴書を送ったことで事務所に入所したが、本意ではなかった。やる気もなかった。

     「どこどこに何時集合と言われても行かないような人間で。『なんで行かないの』と聞かれても『つまらないから』なんて言っちゃって」

     濃姫のように、道しるべとなったのは蜷川幸雄さん(16年死去、享年80)。89年の初舞台「盲導犬」。17歳の木村は厳しい指導に白髪が生え、10円ハゲができた。

     「蜷川幸雄さんの指導で、拍手をいただけることがどれだけすごいことか。舞台に上がることがどれだけ大変か。初めて理解できた」

     「恩師」のおかげで、「仕事を続けられた」。グループでも個人でも随一の人気を得た。その傍ら、「キムタク」にいら立ちもした。ドラマや映画での髪形、しぐさ、洋服、車。全てがはやり、「キムタクブーム」を生んだ。「何を演じてもキムタクと言われる」「キムタクって商品みたいで嫌」。トゲのある言葉で抵抗した時期もあった。

     「現場でも『キムタク』というソフトにしか見られていなくて。スタッフとの関係性も良くなくて、全てが嫌だった」

     救いになったのは「おじき」と慕う明石家さんま(67)の一言。フジテレビ系ドラマ「空から降る一億の星」(02年)で共演した時のことだった。

     木村「キムタクと呼ばれるの嫌なんですよね」

     さんま「なんでや、最高やないか」

     木村はうなずきながら、当時のやり取りを回想し、さんまの言葉をなぞった。

     「『俺らみたいなもんは自分でやっているように勘違いすることも多いけど、生きているんやない。生かされているねんぞ。キムタクだって、一番呼びやすい名前だからな』って。なるほどなと合点がいって。目だけじゃなくて、体全身からうろこが落ちて。それからは『キムタク』にもスムーズになりましたね」

     当時、さんまは木村のすごさを「父親をしていること」とも言った。現在はモデルで女優のCocomi(21)とkoki,(19)を通してその一面が垣間見えるが、普段の姿とは異なるのか。

     「違うか、違わないかも分からない。結婚前から、オンとオフの区切りはあまりなくて。嫌いなものは嫌いですし、ダサいと思うことはしたくない。その反対に、こうしたら相手が喜んでくれるかなと思ってやることは家族にもスタッフにも一緒ですしね」

     家族がいるからこそ、想像を絶する重圧やストレスに立ち向かえるのか。そう聞くと「ぜっんぜん」と両手を振って否定した。

     「全然、そんなことない。スポーツ選手みたいに結果が求められるわけじゃないし、数字はテレビ局や映画会社の方が気にすること。俺、そこじゃないもん。そこを追っていたら…」。一呼吸置いて、言った。「もう辞めてんじゃないですか」

     2016年、SMAPが解散した。5人から1人になった。解散当初は「1人でオールをこぐ」と表現したが、「今は違う」。

     「ステージに上がれば1人ですけど、そこまで一緒に考えて支えてくれるスタッフがいる。バンドメンバーもダンサーもいる。客席にはオーディエンスの方もいる。今は、1人でオールをこいでいる意識はないよね」

     芸能界に足を踏み入れ、35年。さまざまなムーブメントを巻き起こし、結婚や解散を経ても変わらない存在感で、50歳を迎えた。より広がる可能性。この先、描く像は―。

     「知らない」。即座に返ってきたが、すぐに続けた。「目の前のことをしっかりしていないうちに、先のことなんて考えられない。何が、どうなるかなんて全然分からない」。全身全霊を込めた半世紀。「信長まつり」では、死さえも覚悟した。外面のみならず、内面も「スター」そのものだからこそ、その姿は心を打ち、全世代へと派生していく。

     「髪形や服がはやることは『へぇ』くらいですけど、自分が演じた職業に希望する方が増えたりするとね。美容師の方が『あのドラマを見たのがきっかけです』とか、世代的に下の方が『母が好きな作品を見ていて、パイロットをやっています』とか。一言で簡単に『感動』と言えちゃいますけど、作品から何かを感じて実際に動いている人たちを見ると、一番うれしいですよね。感動しますよ」

     木村拓哉は、この先も「キムタク」として走り続けていくだろう。

     ◆木村 拓哉(きむら・たくや)1972年11月13日、東京都生まれ。50歳。91年にSMAPのメンバーとしてCDデビューし、国民的アイドルに。「ロングバケーション」「ビューティフルライフ」「HERO」など主演ドラマが立て続けに大ヒット。映画は「武士の一分」「無限の住人」などに主演。2000年12月、歌手の工藤静香と結婚。長女はモデルのCocomi、次女はモデルのKki,。

     ■取材後記 感じたことのない「オーラ」

     木村を語る上で、欠かせないワードがある。「オーラ」。姿形がない不確実なモノだが、共演した俳優や、同じジャニーズのタレントですら、そう表現する。関係者から、正対した瞬間に手の震えが止まらず、コーヒーを飲めなかった記者がいたというエピソードも聞いた。

     21年の報知映画賞主演男優賞インタビューでは、真っすぐな視線と口調に圧倒され、予定時間より10分早く切り上げてしまった。サッカー担当時代に接した三浦知良(55)にも似た空気を感じたが、「気おされる」経験は十数年(サッカーと芸能)の記者人生で初めてだった。

     今回も入室した途端、ビシビシと感じるオーラに意味不明な丁寧語を発したりもしたが、その度に「何でも聞いてください」「この話は書けないと思いますけど…」と、こちらを気遣いながら、時にリップサービスもしてくれた。

     取材後。時計に目を向けると、予定時間ピッタリだったことに安堵(あんど)しつつ、手のひらは汗でびっしょり。無意識に握りしめた拳の爪の深い痕がついていた。(スポーツ報知)

    綾瀬はるか

     女優の綾瀬はるか(36)が31日、新型コロナウイルスによる肺炎で入院中だと発表され、ツイッターでは「綾瀬はるか」がトレンド入りした。

     「確か身体鍛えてたし体力あるんだと思うんですけど、それでも入院必要なほどだったとは」「誰が罹るか 分かんないよなあ」「早くよくなってほしい」などと案じる声が相次いだ。一方で、自宅療養者が増える中で入院したことで、さまざまな反響があった。

     「綾瀬はるかが入院しただけで一部の人に叩かれてるのを見ると、本当に世も末だと思うわ」という意見や「『大丈夫?』『心配だ』って言葉と同じくらい『芸能人だから入院できていいな』『自宅療養で苦しんでる人もいるのに何で芸能人は…』って言葉が出てくる時点で色々とお察し 確実に言えるのは『コロナ対策は失敗した』」と指摘する人もいた。(中日スポーツ)

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